ありが豚再出発に向けて

◇ご挨拶

はじめまして、蔵王ありが豚の高橋希望です。
サポーター制度にご登録頂き、心より感謝申し上げます。

平成23年3月11日の未曾有の大震災で、名取市の仙台空港の隣にあった、私たちの農場は豚舎の基礎部分を残し、全て流されました。父や母や兄が手塩にかけて、我が子のように大事に育ててきた、2000頭程の豚たちも被災しました。

これまで生きてきた中で一番恐ろしい出来事でした。震災から3ヶ月しか経っていない現在では、未だに夢か現実かわからなくなることがあります。震災時、私は都内におりましたが、大地震の後に襲ってきた津波で農場にいた父も家族も数日間安否ががわからず、心が削られていく想いをしました。家族が生きていてほしい、どうか無事でいてほしい、ただそれだけをずっと考えて、携帯を握り締めたまま昼も夜もわからない生活をしていました。幸いにして全員の安否は確認できましたが、本当に全てが紙一重の状況でした。

私と同じような想いをされた方々は多いと思います。大震災では、距離というものの本当の怖さを知ったように思います。被災地と都内をつなぐ連絡手段は全て絶たれ、自分の無力さを嫌というほど知りました。何もできず、ただ通信手段が復旧するだけを待つしかできないことが、こんなにも辛く苦しい事だとは、今まで知りませんでした。今までの生活には、当然のように携帯やネットや様々な交通手段が、自分のすぐ身近にあったからです。

◇改めて蔵王ありが豚の紹介

私たちの豚は、初代の祖父母が、戦後から白石蔵王という場所で養豚業をはじめたところからスタートしています。両祖父母とも敗戦を経験し、当時はまだ日本で豚を多頭飼育する技術が何もない中で、これからの日本、そして地域の皆様をもっともっと逞しく元気にしたい!という思いで養豚業を始めました。「いつもありがとん(ありが豚)」というネーミングは、私の両親の代で名付けられましたが、地域のお客様と、顔の見える距離で飼育してきた結果自然に付いていた名前です。食といのちのつながりに感謝するという、生産者と消費者の想いやコミュニケーションが根底にあります。規模としては小さな養豚場でしたが、ごく一部のお客様との
継続したつながりから大事に豚を飼育し続けて、現在に至ります。お祝い事や療養中の方など、なにか特別な事や元気をつけたい事がある度には注文が入るような関係でした。

冠につけている「蔵王」という地名。
この名前はお世話になった地域の事をずっと忘れたくないという想いから付けていました。数年前に白石蔵王の農場は閉じましたが、今回の大震災を経て、30年続けてきた名取市の皆様にも大変お世話になり、今後の名称については正直悩んでおります。なにかよい案があれば・・とも思っています

◇新しい豚が産まれました!

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こういう状況の中でも、ありが豚に新しい命が誕生しました!とても可愛く元気な子豚たちです。震災を生き延びた豚たちも、本当によくがんばっています。最初に保護した豚は、豚舎の設備も餌もなかったため、別の畜産農家に引き取っていただきました。最終的に私たちの手元に残ったのは僅か60頭程ですが、避難先の農場で元気に過ごしております。写真はちょっと暗いのですが産まれて4週間のありが豚です!また、元気な声をお届けできればと思います。

◇サポーター制度での再出発

震災から僅か1ヶ月ほどの頃に、今回のサポーター制度のお話を頂き、家族で話し合いお願いすることに決めました。正直なところ現在もまだ心が落ち着かない状態が続いており、皆様へのご報告もどこまでできるのか不安な毎日です。ただ、人と人との温かいつながりがこんなにも力を与えてくださり、前に進む勇気を与えてくれるものだとは知りませんでした。まだまだ、本当にこれからです。大変なのは私達だけではないので、この制度をきっかけに、被災地に継続して関心を持ち続け、どうぞ長い目でお力添え頂ければと願っております。

◇最後に

最後になりましたが、前に進む勇気を下さったサポーターの皆様、おひとりおひとりに、この場を借りて深く感謝申し上げます。今後ともどうぞ、よろしくお願い致します。
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